|
元社格は 「府社」 だそうです。
社格とはなんでしょう?はじめて聞きました。そこで調べてみますと、以下のようなことだそうです。
社格というのは、長い神社信仰の中で生まれてきた崇敬上の区別です。神話時代には、天社、国社という称号があり、これが社格の起源であるとされています。
しかし、正式に社格制度が出来上がるのは、古代律令国家の成立以後です。八世紀に成立した古代律令国家は、神祇官(神々を祭る役所)と太政官(その他の一般行政を行う役所)からなっており、この神祇官の執り行うまつりに応じて、各地の神社へも幣帛(へいはく)が献じられました。ここから、社格というものがあらわれてきます。
その後、平安時代中期の延喜年間に、「律令」の細やかな施行規則『
延喜式
』が制定されました。その中には3132座の神々が載せられており、特に国家から篤い崇敬を受けることになりました。また、平安時代には、特に皇室の崇敬が篤かった都周辺の二十二社の神社を、他と区別する意味で「二十二社」と呼び、これについては法律にて特に定めたものではないものの、社格に準じて考えられています。
社格は明治時代に入り復興され、明治四年(1871)の太政官布告により官社(官幣・国幣)と諸社(その他)に区分されました。この布告によって全国の神社は、官幣大社・官幣中社・官幣小社・別格官幣社(歴史上に大きな功績のあった人物を祭る)、国幣大社・国幣中社・国幣小社、さらに府社、郷社、村社、無格社
に類別されました。官幣社は天皇及びその親族、功臣が祭られている為、例祭、祈念祭、新嘗祭に幣帛が皇室より奉られる一方、国幣社は国土経営に功績のあった神が祭られている為、これが国庫から奉られる点での違いがあります。大社・中社・小社
の区分については、条件的にはっきりと基準が決められていた訳でなく、だいたいの社殿の規模、すなわち境内の面積や社殿の大小によって区分されていました。府社、郷社、村社は、それぞれの属する府県市町村から幣帛を供進されていた神社のことで、無格社はそれから洩れた神社です。
なお、伊勢の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)は、特別に神宮という社格名を称し、以上の区分の分類外となっていました。
これが従来の社格ですが、昭和20年(1945)に占領軍の「神社と国との関係の厳しい切断を求める方針」による「神道指令」によりこの社格制度は廃止となりました。 |